小6の時、市内小学校相撲大会の選抜メンバーを辞退したワケ

OpenClipart-VectorsによるPixabayからの画像

 わたしが住んでいる地域では市内小学校相撲大会(以下、市内相撲大会)が年1回開催されているが、わたしが小学生の頃も今と同様に開催されていた。当時の参加対象となる学年は小4~6で、わたしが通っていた小学校では市内相撲大会の2週間前になると校内での学年別相撲大会が開催され、上位入賞者が市内相撲大会の選抜メンバーに選ばれた。

 わたしは小4、5の時は学年で相撲が一番強く、2年連続で選抜メンバーに選ばれ、小6の時も選抜メンバーに選ばれたが、校内での相撲大会の時は、転校してきた随分と身体の大きい早熟系男子と決勝で対戦し、その男子の強烈な付き押しを無我夢中でしのいでいて、体勢を前にしようとした時、自ら土俵に両手を付いて敗れて準優勝だった。くやしい気持ちがしばらく残った。

 ただ、小6の時は、サッカー部に入っていたわたしは、ある理由から相撲大会の選抜メンバーを辞退し、担任の先生からひどく叱られたのを覚えている。


 わたしがサッカー部に入部したのは小5に進級した時だった。小5の新学期がはじまる前の春休みの時、自宅からどこへ行こうとしたのかは忘れたが、川沿いの道を自転車で走っていると、自転車に乗ったジャージを着たサッカー部の顧問(以下、先生)にばったり出くわしたのである。先生はわたしに気がつくと、
「おお」
 と、言って自転車を止めたので、わたしも自転車を止めて、
「こんにちは、どこいくんですか?」
 と、聞くと、先生は、
「丁度よかった。これからおまえの家へ行こうとしていたところだったんだよ。サッカー部に入れよ」
 と、言ってきたのである。今で言うスカウトだ。わたしは、小4から市内相撲大会、市内陸上大会に出場したり、運動会では小1からずっとクラスのリレー選手だったので、先生もそんなわたしに目をつけたのだろう。因みに水泳は苦手だった。

 わたしは、サッカー部顧問の先生から直々に誘われたことがうれしくて、それまでサッカーには興味もやったこともなかったが、ふたつ返事でサッカー部に入部することを了承した。

 そして、小5のときはゴールキーパーのレギュラーとして活躍(自画自賛)したのだが、小6になると、何故かゴールを守っているだけのゴールキーパーが面白くない。そもそもサッカーは足でボールを蹴るスポーツじゃないか、わたしはそっちに興味を持つようになったのだ。

 幸い、ゴールキーパーはわたしの他にもうひとり一緒に入部した同級生がいた。2つ年上の兄も小学生の頃はゴールキーパーのレギュラーだったこの同級生は、ゴールキーパーのレギュラーになることを強く切望していたが、最終的にわたしがゴールキーパーのレギュラーになり、1年間補欠で試合に出ることは1度もなかったのだ。

 と言うことは、わたしがゴールキーパーを辞めれば、自動的にこの同級生がレギュラーになる。彼にとって、1年間臥薪嘗胆した甲斐があるってもんだ。

 わたしは、この同級生にゴールキーパーを辞めることを告げると、さっさと足でボールを蹴る側で練習をすることにした。すると、周りのメンバーからは、
「ゴールキーパーじゃないのか?」
「ゴールキーパーやれよ」
 などなど、言われもしたが、苦笑いをして馬耳東風で聞き流し、先生からも、
「おまえはゴールキーパーだろ」
 と、半分真顔で言われたが、
「あいつ(同級生)がゴールキーパーやっているからいいじゃないですか、えへっ」
 と、言い訳をして、半ば強引に脱ゴールキーパーしたのである。

 補欠だった同級生もハツラツとしてゴールを守る練習をしたが、神様って意地が悪いのかな、小6で入部した同級生に、
「ゴールは俺が守るぜ! どけどけ(補欠だった同級生に向かって)」
 と、熱血漢溢れるメンバーが加わり、補欠だった同級生は小6でも補欠だった。

 さてさて、足でボールを蹴り出したわたしだが、サッカー未経験で入部し、ちょっと前までゴールキーパーをしていたため、ボールコントロールがおぼつかず、すぐにレギュラーになれるほど甘くはなかった。一日も早くレギュラーの仲間と同じようなレベルになりたい。わたしは毎日一生懸命練習をした。そんな矢先、相撲大会の選抜メンバーに選ばれたのである。

 放課後、相撲の稽古(練習)をすることになると、2週間サッカーの練習ができなくなるのだ。サッカー部のレギュラーからも何人か相撲の選抜メンバーに選ばれている。わたしはそのメンバーがサッカーの練習ができない間もサッカーの練習をして少しでも上達し、レギュラーの座を掴もうと目論んだのである。この機会を逃すことができなかったのである。

 誰でも何かの目標を立て、成就しようと邁進している時、どんな手を使ってでも周りを蹴落として自分が勝ち取りたいという気持ちが起こることがあるのではないだろうか。卑怯だとかずる賢いとかガキなのに計算高いなどと思われようが、兎に角、このときのわたしの頭の中にはサッカーでレギュラーになることしかなかったのだ。

 以上、このような理由から相撲の選抜メンバーは辞退したのだが、反りが合わなかった担任には話したところで理解はしてもらえないだろうと、辞退する理由を話すことはしなかった。


 わたしの母校は市内で相撲は強かった。団体トーナメント戦、個人トーナメント戦で何度も優勝を果たしていた。また、大会が近づき稽古開始直前になると用務員のおじさんがせっせと本格的な土俵を作ってくれた。

 相撲の稽古は大会2週間前から月〜金の放課後に2時間ほど行ったが、嫌々やっているメンバーはいなかった。みんな学校の代表に選ばれたという名誉と誇りを持って稽古に励んでいたと思う。

 小5の時は、顧問の先生が探してきた市内でちゃんこ屋を営む元十両力士だったアンコ型の体形をしたご主人を臨時コーチとして招き、稽古をした。

 コーチの指導の下、準備体操に始まり、一丁前に摺り足、シコを踏みをやったが、さずがに又割りはやらなかった。コーチの胸を借りての押し稽古は、コーチの胸が柔らかい布団に身体を埋(うず)めているようで、とても気持ちがいいのだが、体に鋼鉄の心棒でも入っているのかと感じるほど、どんなに力を入れて押しても、コーチの体が少しも揺れることなくびくともしなかった。とてもキツイ稽古だったが、これが本物のお相撲さんなんだと感動もした。その後はメンバー同士でのぶつかり稽古を行い1日の稽古は終わった。

 市内相撲大会2、3日前になると、またまた一丁前に白まわしを絞めて稽古を行った。まわしを付けると引き締まった感覚を覚え、間近に迫る大会の日までより一層稽古に励んだ。

 市内相撲大会は、個人トーナメント戦(小6のみ)と団体トーナメント戦(各学校小4、5は2名、小6は1名の計5人制)で各校2チームのエントリーで競い合った。

 わたしは小4の時は、団体戦メンバーとして出場して優勝していたが、小5の時は、どういうわけか取り組みに集中できず、本領を発揮できなかった。そして、2回戦目では立ち会いで、相手選手と当たったとき左小指を突き指し激痛が走り、その後の取り組みは、突き指した小指ばかりかばい、もうどのような取り組みをしたのかも覚えていないが、散々な成績だったことは間違いないだろう。

 意気消沈して帰宅し、突き指をしたことを母に話して疲れからか居間で寝ていると、突き指をした左小指に軽い痛みを感じ、寝ぼけ眼を開けると、母が突き指をした手にシップをして包帯を巻いてくれているのが見え、わたしは安心してまた眠りについたのである。

タイトルとURLをコピーしました