力士はつらいよ

 去る27日の日曜日、大相撲千秋楽観戦で両国国技館へ行ってきた。栃ノ心が寄り切りで勢を破ったので、後は白鵬が鶴竜に勝って、栃ノ心と鶴竜の優勝決定戦になることを望むふしがわたしには大いにあったが、鶴竜は寄り切りで白鵬を負かし本割で優勝を果たした。

 わたしと同じように優勝決定戦を望む・・・つまるところ「白鵬勝て!」と思っていた観客が大勢いたようだ。栃ノ心が勝ったときは、場内に割れんばかりの歓声が轟いたが、鶴竜が勝ったときは、場内にため息と歓声が入り乱れ悲喜こもごもだった。

 とは言え、栃ノ心×勢戦、鶴竜×白鵬戦ともに、見応えのある力相撲だったので良しとしよう。鶴竜関、幕内優勝おめでとうございます。

 さて、以前から土俵に上がる十両以上の力士(関取)を見ていて気になっていたことがある。それは、体のあちらこちらにテーピングやサポーターをした力士が実に多いのだ。中には肩や背中、手指、掌、手首、肘、腰、太もも、膝、足首、足指のいたるところにテーピングやサポーターをした満身創痍の力士もいる。見苦しく美しくない。土俵に上がるときはまわし1本だけになれと言いたくなるのだが、力士にとってはそうもいかないようだ。

 一般人とは比較にならないほど巨漢な力士。稽古中、本場所中に捻挫、腰痛、膝痛、筋肉・腱・靭帯の損傷・裂傷を起こし、稽古を休めば弱くなるし、無理に稽古をすれば怪我が更に悪化することも考えられる。本場所を休場すれば番付は下がる。20代、30代前半の体力・肉体の力士と言えども稽古を休まずに1ヶ月半で完治させるのは至難なことだろう。

 もともと江戸時代の本場所は年2〜4場所だった。ひと場所8日間興行からはじまり、後に10日間興行になった。当時は江戸相撲と大坂相撲に分かれ、関東の力士は江戸場所、関西の力士は大坂場所、京都場所に出場していたので、年4場所(江戸、大坂、京都、江戸)あっても、「一年を二十日で暮らすよい男」の通り、関東の力士も関西の力士も年2場所に出場すればよかった。

 ところが、昭和2年(1927年)、東京相撲協会と大阪相撲協会が解散・合併し、大日本相撲協会(現在の日本相撲協会)が誕生し、年4場所(1月東京、3月関西、5月東京、10月関西)の11日間興行になった。

 そして、昭和13年(1938年)1月場所から13日間興行になり、昭和14年(1939年)5月場所から昭和19年(1944年)1月場所までと昭和24年(1949年)5月場所から現在まで15日間興行になり、本場所数も昭和32年(1958年)に年5場所(東京、大阪、東京、東京、福岡)になり、翌昭和33年(1959年)に年6場所(東京、大阪、東京、名古屋、東京、福岡)になった。

 番付一枚違えば天国と地獄。市議会の定例会でさえ年4回なのに、年6場所は力士にとってキツイことだろう。ほんと、「力士はつらいよ」と、同情したくなる今日この頃だ。

力士:幕内、十両、幕下、三段目、序二段、序の口全ての相撲取りのこと
関取:十両以上の相撲取りのこと
一年を二十日で暮らすよい男 | 大相撲スペシャル | 「江戸・東京デジタルミュージアム」古きをたずねて、新しきを知る。
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