無法松の一生』(むほうまつのいっしょう)は、岩下俊作の小説。福岡県小倉(現在の北九州市)を舞台に、荒くれ者の人力車夫・富島松五郎(通称無法松)と、よき友人となった矢先に急病死した陸軍大尉・吉岡の遺族(未亡人・良子と幼い息子・敏雄)との交流を描く。
※Wikipedia「無法松の一生」より引用
はじめて、映画「無法松の一生」(主演:三船敏郎、高峰秀子)を観たのは、大人の階段を昇る前の少年時代の自宅テレビだったと記憶する。
そして、成人してからもレンタルビデオを借りたり、BS放送で観たりして、最終的にDVDを購入するほどお気に入りの映画なのだが、ある日、大東亜戦争中の1943年に作られた、阪東妻三郎の「無法松の一生」があることを知った。
阪東妻三郎、通称 “阪妻(バンツマ)” と言えば、当時三度の飯より阪妻の映画が観たいと言わしめた活劇スターだった。……ウソです、今適当にわたしが作りました😅 でもそれくらい人気がある役者だったことは天地神明に誓って嘘偽りのない事実です🤨 俳優の田村高廣(長男)、田村正和(三男)、田村亮(四男)は阪妻の子供たち。
阪妻にとって無法松は代表作だったようだが、一番重要なシーンが内務省の検閲により削除されていた。
それは、松五郎が晩刻に吉岡宅を訪ね、良子に密かに抱き(いだき)続けてきた愛情を告白しようとするのだが、相手は元陸軍大尉の未亡人で自分は学のない車夫。身分が違う松五郎にしてみれば良子が高嶺の花であることは百も承知しているが、それでもどうしようもできない良子への愛を伝えようとするのだが、結局それはできずに涙を流し、良子にはもう二度と会うまいと吉岡宅を後にするシーンだ。
戦争真っ只中の1943年。前年1942年にはミッドウェイ海戦において、日本海軍はアメリカ海軍に大敗を期し日本の戦局が悪化している中、男女の恋愛を少しでも匂わす映画は不届き千万であり、ましてや学がなく身分も低い松五郎が元将校未亡人に愛を告白しようとするシーンなんて、当時の社会観念にしてみれば非倫理的なことで、間違っても公開してはならないシーンだったのだろう。わたしはBS放送で阪妻の無法松を観たことがあるが、一番重要なシーンがジャンプカットされ非常に残念でならなかった。
なお、戦後もGHQにより、旧日本軍が映っているシーン(陸軍大将が歓迎会を済ませ、松五郎の車に乗るシーン前後)が削除されたようだが、こちらは覚えていない。
阪妻の無法松も三船の無法松も監督は稲垣浩だ。稲垣監督は阪妻の無法松の一部が削除された無念を晴らすために三船主演で無法松を作成し直し、第19回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞、第32回キネマ旬報ベスト・テン第7位と高評価を得たが、阪妻の無法松の一部が削除されていなかったら、三船の無法松は作られていなかったかもしれない。
さて、件のことからわたしは三船の無法松贔屓なのだが、昨年のこと、YouTube内をサーフィンしていたら、勝新太郎の「無法松の一生」が目に入ったのである。それも映画フルでアップされていたのだ。(現在は無くなりました)
勝新の無法松? アップした人がタイトルを誤って勝新太郎と記してしまったのではないかと疑ってもみたが、動画を観ると正真正銘勝新太郎の「無法松の一生」だったのだ。
勝新といえば、座頭市シリーズ、悪名シリーズ、兵隊やくざシリースなど、沢山の作品を残した昭和を代表する銀幕スターだが、これらの作品のほとんどが1960年代に公開されたもので、1963年生まれのわたしはリアルで観たことはなく、チャンバラごっこで友達が座頭市のマネをしたことで勝新の名前を知った程度で、またこの手の映画を父が毛嫌いしていたこともあり、わたしはおのずと勝新には関心がなくなり、勝新から連想することと言えば、
- 故人であること
- 昭和の銀幕スター
- 珠緒の亭主
- 映画「影武者」の主役だったが、撮影中黒澤監督と喧嘩して自ら途中降板した人
- ワイハからパンツの中に白い粉袋を入れて帰国したら成田空港でタイホされた人
- 自分が所持している高級腕時計・貴金属類を褒められるとあげちゃう人
- 飲むこともお金を使うことも豪快な人
- お騒がせ超大物俳優
- モソモソボソボソ話す人
- 若山富三郎の弟
などなど、役者を評価する連想はひとつもなく、唯一役者として覚えているのは、大河ドラマ「独眼竜政宗」(1987年[昭和62年]主演:渡辺謙)のときの秀吉役くらいだ。勝新が秀吉!? ミスキャストだろと思ったが、往年の銀幕スターらしく貫禄ある演技だったことを覚えている。
したがって、勝新がどんな松五郎を演じるのか…。わたしには三船の松五郎がインプットされているので、三船と比較するような気持ちで観たのだが………勝新の松五郎、よかったです。観終わってため息が出た。おみそれいたしやしたでしたよ。
実を申しますと、三船の無法松ではイマサン気に入らないシーンが3箇所あるのだ。勝新の無法松と比較してみた。
1.松五郎が小倉の祭りで小倉祇園太鼓を打つシーン
三船「無法松の一生」
この映画の見せ場のシーンだと思うのだが、松五郎が大太鼓を勇駒から暴れ打ちをして、次のシーンへ変わるのだが、暴れ打ちのシーンが短く、「いくっ!」って言う直前で、はーいおしまいと肩透かしをくらいフラストレーションが溜まるような感じなのだ。←なんだそれ😑
勝新「無法松の一生」
いいですねぇ、暴れ打ちのシーン。出すものを出してスッキリさせていただきましたよ。←だから、何なんだそれ💨
2.松五郎が吉岡宅で良子に愛を告白しようとするシーン
三船「無法松の一生」
松五郎が良子の手を握ろうとするのだが、良子は、
「何をするのですか!」
と、けんもほろろに突き放ち、身構え動揺するのだ。
普段良子は親しみ深げに松五郎さん、松五郎さんと呼び、良子も息子も松五郎には散々お世話になっているのに、そんな態度取るたぁねぇ。結局のところ、松五郎さんと呼んでいたのは社交辞令の建前だけに過ぎず、本心は「わたしとあなたとでは身分が違うのです。この下人が!」とでも言っているように聞こえるのである。
勝新「無法松の一生」
松五郎は良子の手を握り、良子ははっと驚き、松五郎は直ぐに握った手を引っ込めて、吉岡宅を後にするが、良子は松五郎が特別の感情を持っていることを感じとる。
3.松五郎の亡骸を囲むクライマックスシーン
三船「無法松の一生」
松五郎は良子からいただいたご祝儀はすべて封も開けずに明荷(あけに)の奥へ大事にしまってあったこと、良子と息子のために各々の名義で貯金をしてくれていたことを知る良子は、泣き崩れるでもなく、慟哭するでもなく、一言「松五郎さん」と、言って、静かに泣くだけなので、腑に落ちなかった。
勝新「無法松の一生」
ご祝儀のこと、良子と息子に貯金をしていてくれたことを知る良子は、松五郎の亡骸に添い寝をするように泣き崩れる。
顔は映さず下半身だけを映す奥ゆかしさを感じるアングル。三船の無法松では目が潤むくらいだったが、一筋の涙が零れ落ちましたよ(涙腺が緩くなったのかな)。
まとめ
どちらも娯楽映画だが、三船の無法松はやや社会派映画に感じた。撮影距離、特に人物を撮るシーンは三船の無法松より勝新の無法松のほうが近め。
三船の無法松は1958年作品だが、1943年作品を忠実に再現した感が強く、時代背景も1943年のままのように思えるのに対して、勝新の無法松は1965年作品でその時代背景に合わせた脚色がされていると思った。よって、勝新の無法松のほうが、より現代に近い感覚の映画に仕上がっている。
勝新の無法松の音楽が伊福部昭なので、BGMが流れるとゴジラや大魔神が頭をよぎるシーンもあった🤣
どちらを勧める? と問われたら、どちらも観てくださいと答えるが、三船の無法松を先に観るのがいいかな。
なお、勝新の無法松では「よし子」が正しいが、本文では「良子」に統一して述べた。
<参考まで> ▼映画「無法松の一生」 1943年作品(大映映画) 阪東妻三郎、園田恵子(監督:稲垣浩) 1958年作品(東宝映画) 三船敏郎、高峰秀子(監督:稲垣浩) 1963年作品(東映映画) 三國連太郎、淡島千景(監督:村上新治) 1965年作品(大映映画) 勝新太郎、有馬稲子(監督:三隅研次) ▼テレビ「無法松の一生」 1957年版(NTV『山一名作劇場』全4回) 富島松五郎、坪内美詠子 1962年版(フジテレビ全5回) 須賀不二男、高倉みゆき 1962年版(NHKの『浪曲ドラマ』全4回) 田崎潤、津島恵子 1964年版(フジテレビ全13回) 南原宏治、南田洋子