記録にある最初の切腹は、永延二年(988年)盗賊の藤原保輔が捕まる際、刀で腹を割いて腸を引きずりだし、自殺をはかったというものだった。
やがて武士が登場すると、合戦に敗れた際に切腹が自殺する手段となり、敵に殺されるのを待つのではなく、自分で切腹して死を選ぶようになった。自殺するのであれば、激痛を伴う切腹より、首を吊ったり、刃物を使って喉や心臓を刺したり、首の動脈を切ったりしたほうが、遥かに苦痛がなく死ねると思うが、切腹を選ぶ理由は、どれだけ己が勇敢であるかを敵に見せつける一世一代の大舞台だった。
参考 なぜ日本人は「切腹」で責任を取るのか?
旧日本軍の戦陣訓の一節「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿(なか)れ」は、切腹の影響を強く受けたものだろう。
さて、少し前になるが、映画「切腹」(1962年[昭和37年]作品)の1シーンをYouTubeで見た。
主な出演者は、仲代達矢、石濱朗、岩下志麻、丹波哲郎、三國連太郎。
動画には、主人公の津雲半四郎[つくも はんしろう](仲代)は登場せず、井伊家の庭先にて千々岩求女[ちぢいわ もとめ](石濱)が切腹するシーンのみだが、庭先に白裃・白装束姿で座している求女に対して、家老の斎藤勘解由[さいとう かげゆ](三國)が、
「千々岩求女とやら、牢籠貧苦(ろうろうひんく)の中に座して死を待つよりは潔く腹かっさばいて果てんとは、誠に奇特なる心がけ。武士は誰しも斯くありたいものでござるの。お恥ずかしい次第だが、御先代直政様以来赤備えの勇武を誇る当家でも、其処許(そこもと)ほどの覚悟の者は稀でござる。誠の武士のあっ晴れな死に様、心から拝見せんものと家中一党ご覧のように集まっておる。いざ、お心静かに」
と、言うと、求女は、
「お願い仕る」
と、勘解由に言い出す。勘解由が、
「ほぉ、如何なされた」
と、問うと、求女は、
「今暫く・・・いや、一両日のご猶予を。決して逃げも隠れもいたさぬ。必ずここへ立ち戻って参る。何卒、何卒」
と、勘解由に懇願する。
しかし、勘解由が、
「これはまた異な事を申すな。近頃、江戸の町々に武士の風上にも置けぬ浪人どもが、切腹をいたすと称し、諸家の玄関先を借りたいと強要。なにがしの金銭にありつくというが・・・。よもや貴殿は・・・」
と、見透かすように言うと、求女はそれを打ち消すように、
「いや、決して拙者は」
と、否定し、勘解由も、
「いやいや、左様であろう。人品骨柄貴殿がそのようなゆすりたかりの輩とは・・・。拙者毛頭思わん。ささ、お心置きなく」
と、薄ら笑いを浮かべるかのようにして切腹を促すのだ。
介錯人の沢潟彦九郎[おもだか ひこくろう](丹波)からは、
「切腹の儀も世の移り変わりに従い、次第に変遷しつつある。近頃は切腹は単なる名目だけに終わり、三方の上の短刀に手を伸ばす。そこを見計らい介錯の者が適当に首を打ち落とす。従って実際に腹を切るのではなく、三方の上も差し料の脇差や短刀の類ではなく白扇などを置く場合もある。しかし、本日はそのような形式に流れた軽佻浮薄(けいちょうふはく)なお手軽なことではなく、すべてを古式に則り作法通りに行う」
と、言い放たれ、自らの腹に手を当て、
「よろしいかな。このように十文字にかっさばいてもらう。それをよく見届けた上で拙者が介錯仕る」
と、求女に切腹の作法を教示し、念を押すように、
「十二分にかっさばいていただいた上でなければ、介錯の儀は仕るらん。よろしいかな。では」
と、駄目押しの一言を加えるのだ。
そして、運ばれてきた三方に乗せられてきた刀を見た求女はぎょっとする。刀は自分の差し料で竹光だったのだ。
沢瀉も竹光であることを知りながら、
「貴殿の差し料である。お使え願おう。我が腰の物こそ武士の魂。これほど最後を飾るにふさわしいものはあるまい」
と、うそぶき、
「さ、如何召された。お願いつかまつろう」
と、声を上げ、刀を大きく振り上げる。
求女は、もはやこれまでと観念し、裃(かみしも)の肩衣(かたぎぬ)を外し、勢いよく両肌を脱ぎ、刀を取ると三方を投げつけ、刀の切先を何度も何度も腹に突き刺すのだが、竹光でうまく斬れるはずがない。求女は畳に刀の柄頭(つかがしら)をつけて立て、切先(きっさき)を腹に押し当てて、刀の上に体を覆い被せてようやく腹を突き刺すができたのである。
激痛に耐えきれず、うめき声をあげる求女は、
「斬れ・・・斬れ!」
と、沢瀉に催促するが、沢瀉は、
「いーや、まだ、まだ! 存分に引き回され!」
と、言って刀を構えたままでいる。求女は仕方なく腹を斬ろうとするが、竹光で引き回せるはずがない。
すると、沢瀉が、
「何をいたしておる。ぐいっと引け。ええい引き回せ!」
と、檄を飛ばすが、求女もこの苦痛から逃れたかったのだろう、舌を噛み切ろうとするが、力が入らず意識が朦朧としふらついているところを沢瀉の「えい!」の一言で首が斬られる。
竹光であることを知りながら、切腹の様子を興味深げに瞳を凝らす勘解由の老獪さ、介錯人の沢潟の陰険さは恐怖さえ覚え、BGMの琵琶の音(ね)もおどろおどろしいシーンを静かに掻き立てている。
と、こんなシーンだったのだが、久々に骨太で鬼気迫る時代劇の1シーンを見ちまったわたしは、全編が気になり居ても立ってもおられずに「切腹」(ブルーレイ版)をAmazonで購入して観たのだが、ん〜買って後悔はしなかった、正解!
求女が切腹することになった理由は、後に記す明良洪範を読んでいただければ分かるが、求女は止むに止まれぬ事情からそのような行動を起こしたのだった。
興味がある人は、Wikipedia「切腹 (映画)」のあらすじを読んでください。あらすじじゃなくてネタバレだよネタバレ。事細かに記されていますから。
因みにこの映画のリメイク版と言っても過言ではない「一命」(2011年作品 主演:市川海老蔵)もあり、Amazonプライム・ビデオで観たが、封建的な武家社会の掟のきびしさや非人間性がまざまざと描かれている「切腹」がオススメかな。
「切腹」も「一命」も原作は異聞浪人記(滝口康彦)で、滝口氏は明良洪範(巻之十二:浪人の合力の事)を参考にしたみたいだ。
明良洪範(巻之十二:浪人の合力の事 p.155-156)
<原文>
其頃は浪人甚だ多くして諸侯方ヘまで合力を乞に出たり 或日井伊掃部頭直澄居屋敷へ浪士一人来りて永々浪人致し既に渇命に及び候 間だ切腹仕度候 介錯の士を仰付られ下さるべしと云 直澄聞れて其武士は吾家に抱へられ度き望みか或は大分の合力でも受たき望か内心に在んなれど左様は言はずしてわざと切腹致たくと言ふならん 其言ふ所に任せ切腹さすべしと云 是に因て食事をさせ切腹致させけるあとで直澄後悔しけると也
又神田橋御殿へ浪人推参し飢に及び候 間だ御合力下さるべし 左様なくば御門内を汚し申さんと云
此時詰居たる者は大久保新蔵伊奈傳兵衛など名高きしれ者ばかり詰居たれば幸ひ也 新身刀のためしにこやつを切て見んなど云けるを其浪人もれ聞て忽ち迯去(とうきょ)しと也
是より諸侯方へ浪人の推参する事止みけると也」
※直澄:井伊直澄(いいなおすみ)近江彦根藩第3代藩主。徳川家第4代将軍家綱の時代
<わたしなりの現代語訳>
その頃、大名の江戸屋敷を訪れて金品を乞う浪人が非常に多かった。
ある日、井伊家上屋敷へ一人の浪人が来て、
「永々(ながなが)と浪人暮らしをしていて渇命した。切腹をするので介錯をお願いしたい」
と、言った。
このことを聞いた直澄は、
「その武士(浪人)は、当家に召し抱えてもらうか、相当の金品を望んでいるのが本心なのに、そのことは言わずにわざと切腹したいと言っているに過ぎない。その者の申すとおり切腹させるがよい」
と、言った。
後に浪人に食事をさせて切腹させたことを直澄は後悔する。
また、神田橋御殿では浪人が推参し金品を乞い、
「左様なければご門内で切腹する」
と、言ってきた。
この時、詰所には大久保新蔵、伊奈傳兵衛など名高き者ばかり居たのは幸いだった。
「新身刀(新しい刀)の試し切りでこやつを切ってみるか」
と、詰所での声が浪人に漏れ聞こえ、浪人はたちまち逃げ去った。
これ以降、大名の江戸屋敷に浪人が推参することはなくなった。
いやぁ、映画って本当にいいもんですね。
