嘘をつく子供

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 現代の子どもに関する話ではなく、イソップ寓話(日本ではイソップ物語とかイソップ童話とも呼ばれている)の「狼と羊飼い」の話。原作タイトルは「嘘をつく子供」みたいだ。

 また、「オオカミ少年」のタイトルもあるが、「狼少年ケン」との混同、混乱を避けるためここでは「狼と羊飼い」で話を進める。

 ご存じのとおり「狼と羊飼い」の話は羊飼いの少年が「狼が出た!」と嘘をついて、狼退治で外に出てきた村人たちを見ては楽しみ、それを繰り返していたため、ほんとうに狼が出たときこの少年が「狼が出た!」と言っても村人たちは「どうせまた嘘だろう」と誰も信用せずに外に出なかった。そして、飼っていた羊がすべて狼に食べられてしまう悲惨な結末で終わる物語。

 イソップ寓話にはいろいろと物語があるがそれぞれに必ず教訓を伴っている。後述するが、「アリとキリギリス」「ウサギとカメ」「北風と太陽」「金の斧」「ろばを売りに行く親子」の物語にも教訓がある。

 誰のための教訓なのか。

 親が子どもに読み聞かせ「こんなことしてはいけませんよ~」と教える、いわゆる道徳を身につけさせるための三つ子の魂百まで教育のための教訓だろう。

 しかしながら、現代の子を持つ親でイソップ寓話を読み聞かせる親は皆無だろう。なぜならば、大人たちもイソップ寓話の教訓を守っていないのが多いから…かな?

 話を戻すが、さて、「狼と羊飼い」の教訓はなんだろう。

 大概の人は「嘘をつくと信用を失うので嘘はついてはいけない」とだけ答えるのではないだろうか。

 ところが、「狼と羊飼い」の教訓にはもうひとつあるようだ。先に述べたがこの物語は悲惨な結末で終わる。村人たちにとっては羊は生活の糧で、生計を立てるためのとても貴重な家畜だったはず。その家畜である羊を失ったことは、江戸時代の農家で例えれば、水不足や冷害がもとで飢饉になり年貢を納めることもできなければ自分らも明日から食べていく食料もないくらい窮乏に陥るのと同じだったのではないだろうか。

 村人たちは少年のことを“嘘つき”と言う先入観を持ち、「どうせまた嘘だろう」と外に出なかったため、このような悲惨な結末を生んでしまった。

 もし嘘だと分かっていても外に出ていたらこのような結末にはならなかったことだろう。

 つまり、「狼と羊飼い」のもうひとつの教訓は、先入観によって人を信じない事の危険さも教訓としていると、Wikipediaには記載されている。

 人間には面白い人、つまらない人、信用できる人、信用できない人などなどいろいろいるが、これらのレッテルを貼られ、先入観をもってしまうと、なんてことない一言も面白い人が言うと面白く聞こえるが、同じことをつまらない人が言うと「ふーん、くだらん」になるし、信用できる人に難局を助けてもらったら「あなたはすばらしい人です。ご恩は忘れません。ありがとう」と感謝感激の気持ちが生まれるが、信用できない人に助けてもらったら「ほんとにあなたが助けてくれたの?」と感謝のかの字もなく戸惑いを感じることだろう。

 先入観ってあまり持たないほうがいいのかも。先入観を持っていたとしても一度は確かめたほうが転ばぬ先の杖なのかな。

アリとキリギリス

<教訓>
将来のことを考えずに行動すると、その将来が訪れた時に、困ることになる。将来の事を考え、働ける好機を生かすことで、長期的に大きな効果を得ることができる。

ウサギとカメ

<教訓>
自信過剰で思い上がり油断をすると物事を逃してしまう。 また、能力が弱く、歩みが遅くとも、脇道に反れず、着実に真っ直ぐ進む事で、最終的に大きな成果を得ることができる。

北風と太陽

<教訓>
手っ取り早く乱暴に物事を片付けてしまおうとするよりも、ゆっくり着実に行なう方が、最終的に大きな効果を得ることができる。また、冷たく厳しい態度で人を動かそうとしても、かえって人は頑なになるが、暖かく優しい言葉を掛けたり、態度を示すことによって初めて人は自分から行動してくれるという組織行動学的な視点もうかがえる。

金の斧

<教訓>
神は正直な者を助け、不正直な者には罰を与える。

ろばを売りに行く親子

<教訓>
人の意見ばかり聞いて、それに左右されて主体性のない行動を取れば、時としてひどい目に遭う。

【番外:グリム童話】ブレーメンの音楽隊

<教訓>
初心貫徹の難しさ。
訳あり動物たちがブレーメンへ行って音楽隊に入ろうと考える。しかし、道すがらの家で泥棒たちがごちそうを食べながら金貨を分けているのを見て、一計を案じた動物たちが泥棒たちを追い出し、動物たちは当初の目的を成就せず、その家で音楽を奏でながら仲良く暮らした。


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