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わたしが子供の頃のそば屋で、もりそばは大人の男性でも女性でも最低2枚は注文したと記憶する。それがいつ頃からなのか、もりそば1枚のそばの量が2枚に相当する量になり、もりそばを複数枚注文する客はなくなり、たくさん食べたい客用に大盛りなるメニューもできた。
さて、わたしより年長者には、
「昔のそばの値段は安かった」
と、言う人もいるが、果たしてどうだろうか。
江戸時代、二八そばがあった。名前の起源は、そば粉8割に対してつなぎの小麦粉2割でそばを作ったので二八そばと言う説と、当時のそばの値段が十六文だったので、“にはちじゅうろく” と語呂合わせで二八そばになったと言う説があり、今でもその起源は結論づけられていない。
当時の二八そばは、もりそばでもかけそばでも2杯注文するのがお約束だったようだ。落語の『時そば』にも、
「もう一杯お代わりって言いてぇとこなんだけどねぇ、ワキでまずいそば食っちゃったんだ。一杯で勘弁してくれ」
と、いうセリフがある。つまり、通常お客は2杯食べていたので1回に三十二文を支払っていたことになる。この三十二文を現在のお金に換算すると、
一両=四千文
【一文を江戸時代の平均的価格で計算】
一両=66,000円
一文=66,000円÷4,000文=16.5円…(1)
【一文を相撲の十両力士の給料で計算】
一両=月給103.6万円÷10=103,600円
一文=103,600円÷4,000文≒25.9円…(2)
∴三十二文=528円〜829円
【一文を江戸時代の平均的価格で計算】
一両=66,000円
一文=66,000円÷4,000文=16.5円…(1)
【一文を相撲の十両力士の給料で計算】
一両=月給103.6万円÷10=103,600円
一文=103,600円÷4,000文≒25.9円…(2)
∴三十二文=528円〜829円
江戸時代の町人の年収は20〜30両と言われている。上記計算で現在に換算すると年収132〜311万円。今の社会人の平均年収と鑑みると、そばの価格は昔より今のほうが安いのかな。