うん、年賀状

 Facebookをやっていると、あることに気がつくことがある。

 自身を例にすると、わたしのFacebook友達は、面識のない人はごくわずかで、ほとんどの友達が公私混同で面識のある人たちだ。

 しかし、一番付き合いが長い中高時代の友人らと会うのは飲み会等で年に1〜2度会うか会わないか。それなのに彼らの投稿を毎日読んでいると、いつも会っているような錯覚を覚えるのである。つまり、3年も5年もそれ以上も会っていない旧知でもその人の投稿を読んでいると、久しく会っていないので会いたいなぁという感情より、今も昔とお変わりなく繋がっているという感情の方が強いのだから不思議でならない。

 さて、今年も後1ヶ月半になり、そろそろ年賀状の準備をしだす頃になった。現代では電子年賀状があれば、SNSでまとめて新年のご挨拶もできるので、わざわざ年賀はがきを買って、文章作成や画像貼付をして、ランニングコストの高いプリンターのインクを何色も買い、何枚も何枚も印刷をして、できあがれば郵便局に持っていくか、ポストに投函しなければならない労働なんてしなくてもいいのだが、それでもアナログ年賀状を出し続けているわたしは、「これだけは譲れねぇ」と、誰に後押しされるでもなく、年に一度だけの使命感に燃え、「意外にマメで根気強いのかもしれない、自分」と、自画自賛をしたくもなる反面、“年賀状は出すべきか出さないでもいいものか” と、問われたら、「是非に及ばず、どっちでもいいよ」と、矛盾することをつぶやくもうひとりの自分もいるが、それでもFacebookと同じように年賀状も人と人とを繋げているんだなぁと感じることがある。

 わたしは20代の頃は会社の正社員として、33歳からはフリーとしてシステム開発の仕事を客先やSIer先などで行ってきたが、42歳のとき仕事をわたしに発注していた会社から、わたしにマッチングする案件がなかなか見つからなくなったので、他社で探して欲しいと言われ、出口の見えない途方に暮れたことがあった。

 そして、なんとしても次の案件(仕事)を見つけなければならないと必死にもがいていたとき、ふと、26歳のときに知り合った他社の技術者(わたしより3つ年上で当時課長)の顔が浮かんだのである。

 この人とは知り合った当時から気が合い、終業後はときどき飲みにいったこともあり、この人が1年後に会社を設立したときも、
「うちの会社に来ませんか」
 と、誘われたが、当時わたしが勤めていた会社は景気も良ければ、給料もそこそこよかったのでご辞退し、その後42歳まで一度もお会いすることも連絡をとることもなかったが、年賀状のやり取りだけは続けていたのである。

 よし、この社長に相談してみようと、15年ぶりに電話をして今の自分の事情を話すと、快くお会いいただけることになり、話の途中で、
「年賀状のやり取りをしていたからなのかなぁ。15年も会ってなかったとは思えない」
 と、言われたのである。このときわたしも、年賀状がこの社長とわたしを繋ぎ止めていたんだなぁと思った。

 因みにこの会社には1年ちょっとお世話になり、その後この社長とはまた5年ほどお会いすることも連絡をとることもなかったが、年賀状のやり取りだけは続け、現在はこの社長の会社と営業代理店契約を結び仕事をしている。

 昨日は昨日で、帰宅すると妻から、
「誰だか分からないんだけど、喪中はがきがきたんだよね」
 と、1枚の喪中はがきを渡された。

 わたしは喪中はがきを手に取り、送り主の氏名を見たが思い当たらない。苗字だけなら何人か思い当たるのだが、名前が全く違う。一体誰なんだろ? と、本文に目を移すと、
『この度 長女 ●● が六月二日永眠いたしました』
 と、記されていて、苗字と名前が一致し、高校時代の同級生が亡くなったことが分かったのである。

 この同級生とは、高校2・3年と同じクラスで3年のときは1年間同じ班(妻も同班)だったが、在学中は話をしたことはほとんどなく、記憶に残るのは容姿だけで、肉声はあまり覚えていない。ただ、卒業してからは年賀状のやり取りだけはしていたので、この同級生の父親は娘と年賀状のやり取りをしていた人たちに、律儀に訃報を知らせてくれたのだと思う。悲しい知らせだったが、年賀状が繋ぎ止めていてくれたんだね。

 年に1度の年賀状の力、なめんなよ。

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