習志野

 習志野、船橋市内を自動車で移動していると、市川ナンバー、船橋ナンバーの車を見かけることが多くなった。

 わたしが自動車免許を取得し車を購入した19歳の時は、千葉ナンバーと習志野ナンバーの2種類しかなく、当時市川市民だったわたしは習志野ナンバーであることがイマハチしっくりこなかった。市川ナンバーできないかなぁと思ったものだった。

 現在は千葉、習志野、袖ヶ浦、野田、柏、成田、市川、船橋、市原、松戸の10種類のナンバープレートがあり、市川、船橋、市原、松戸の4種類が同市単独のご当地ナンバーになる。

管轄局・事務所

  • 市川:習志野自動車検査登録事務所
  • 船橋:同上
  • 市原:袖ヶ浦自動車検査登録事務所
  • 松戸:野田自動車検査登録事務所

 単独区市町村でのご当地ナンバー導入条件は「対象地域内の登録自動車の数が10万台を超えていること」。直に浦安ナンバーもできることだろう。

 千葉運輸支局・事務所は4箇所あるが、所在地を見ていて「おやおや?」と思ったことが一点あった。

千葉運輸支局

  • 本庁舎(千葉市美浜区新港198)
  • 習志野自動車検査登録事務所(船橋市習志野台八丁目57-1)
  • 袖ヶ浦自動車検査登録事務所(袖ケ浦市長浦字拓弐号580-77)
  • 野田自動車検査登録事務所(野田市上三ヶ尾207-22)

 (以下、所在地事務所で記述)

 おわかりいただけただろうか。千葉、袖ヶ浦、野田のナンバープレートは事務所所在地の市名なのだが、習志野ナンバーだけは市名ではないのだ。そもそも習志野事務所は船橋市にあるのだから、船橋自動車検査登録事務所ではないのだろうか。

 なんで船橋ナンバーでなく、習志野ナンバーだったのか。Wikipedia「習志野」には「千葉県北西部にある地名。下総台地の一画を占め、船橋市、八千代市、習志野市に跨っている。」と記載されている。つまり、習志野は広域地帯の地名なのだ。習志野=習志野市を連想する人もいると思うが、そうではないのだ。

 千葉ナンバー、習志野ナンバー時代の習志野事務所の管轄は以下の通りだ。

習志野事務所の管轄(市境北緯順)

  • 東葛飾地域:野田市(旧関宿町含む)、柏市、流山市、我孫子市、松戸市、鎌ヶ谷市
  • 葛南地域:船橋市、八千代市、市川市、習志野市、浦安市
  • 印旛地域の一部:栄町、印西市、白井市

 よって、千葉ナンバー、習志野ナンバー時代の習志野事務所の管轄は、千葉市より以西と印旛地域の一部の広範囲だったので、その総称として習志野ナンバーにしたのだろう。船橋ナンバーだと船橋市をピンポイントで示すことが連想されるからね。

 さて、ざっと「習志野」を調べてみたら、習志野市の習志野より船橋市の習志野が多いことがわかった。

船橋市の習志野

▼町名
習志野
習志野台
西習志野
▼駅名
習志野駅(船橋市習志野台)
北習志野駅(船橋市習志野台)
▼路線バス停留所
習志野一丁目
習志野四丁目東
習志野五丁目
習志野車庫(船橋市習志野)
習志野原(船橋市習志野)
習志野(船橋市習志野台)
習志野出張所(船橋市習志野台)
習志野台一丁目
習志野台三丁目
習志野台八丁目
習志野台団地
北習志野団地入口(船橋市習志野台)
北習志野駅入口(船橋市習志野台)
北習志野花輪病院入口(船橋市習志野台)
北習志野駅(船橋市習志野台)
日大習志野高校(船橋市習志野台)
▼千葉運輸支局
習志野自動車検査登録事務所(船橋市習志野台)
▼自衛隊
陸上自衛隊習志野駐屯地「第一空挺団」(船橋市薬円台)
陸上自衛隊習志野演習場(船橋市習志野・八千代市高津)
▼学校
高郷小学校(船橋市西習志野)
習志野台第一小学校(船橋市習志野台)
習志野台第二小学校(船橋市習志野台)
習志野台中学校(船橋市習志野台)
日本大学習志野高等学校(船橋市習志野台)
▼霊園
習志野霊園(船橋市習志野)
※八千代市の習志野霊園とは異なる

習志野市の習志野

▼町名
東習志野
▼駅名・電車区
新習志野駅(習志野市茜浜)
習志野電車区(習志野市谷津)
▼路線バス停留所
習志野市役所(習志野市鷺沼)
東習志野
東習志野二丁目
東習志野二丁目北
東習志野四丁目
東習志野五丁目
東習志野六丁目
東習志野七丁目
東習志野八丁目入口
東習志野八丁目
習志野高校入口(習志野市東習志野)
▼高速道路
湾岸習志野IC(習志野市香澄)
▼学校
※「習志野市立」のみは除く
東習志野小学校(習志野市東習志野)
実花小学校(習志野市東習志野)
第四中学校(習志野市東習志野)
習志野高等学校(習志野市東習志野)

八千代市の習志野

▼自衛隊
陸上自衛隊習志野演習場(八千代市高津・船橋市習志野)
▼霊園
習志野霊園(八千代市米本)
※船橋市の習志野霊園とは異なる

 ※習志野カントリークラブは印西市と香取市

 なぜ、習志野市より船橋市の方が習志野の地名が多いのか。その理由は「習志野地名発祥の地」とされる二宮町が陸軍習志野錬兵場(陸上自衛隊習志野演習場近辺から成田街道を挟み、高根台周辺までの地域)の約2/3の面積を有していたからだ。

 二宮町は、1889年(明治22年)千葉郡滝台新田、薬園台新田、三山村、多喜野井村、前原新田、上飯山満村、下飯山満村の7村が合併して二宮村になり、1928年(昭和3年)に町制を施行した。

 現在の高根台、習志野台、西習志野、芝山、七林町、飯山満町、習志野、薬円台、滝台町、滝台、二宮、三山、薬園台町、田喜野井、前原東、前原西、中野木が二宮町になり、高根台、習志野台、西習志野、薬円台北部、習志野が陸軍習志野練兵場があった地域になる。

 そして、二宮町は昭和の大合併の直前当初、津田沼町(現在の習志野市)との合併の合意が成立したが、間もなく船橋市との合併に傾き、1953年(昭和28年)8月1日に船橋市へ編入して二宮町は廃止された。

 なぜ、津田沼町との合併合意を白紙にして船橋市に編入したのかは、合併に関わった人たちの証言がなければ真実を知る由もないが、大東亜戦争中の二宮町空襲による国の補償金配分を巡る津田沼町役場と二宮町役場の対立が起因して船橋市に編入したようだ。利権等の損得勘定があったにせよ、「やっぱ、船橋じゃん」的なフィーリングではなかったと思う。

 陸軍習志野練兵場があった習志野が広域地名であることは前述したが、江戸時代は幕府の牧場で小金原、小金ヶ原、大和田ヶ原などと呼ばれていた。そして、明治維新後に陸軍の練兵場(現在の演習場含む)になり、天覧演習で明治天皇が有らせられたとき、明治天皇から「習志野ノ原」の名を賜り、「習志野原」「習志野」と変わっていった(名前の由来については「篠原国幹」説もある)。

 陸軍習志野練兵場をはじめとする陸軍の施設が、二宮町から現在の習志野市大久保・習志野市東習志野・八千代市高津西部・千葉市花見川区北部までと広域だったので軍郷習志野と言われた。

 以上、念を押すが、習志野=習志野市ではない。習志野の地名の所在地はややこしいが、東習志野が習志野市、他は概ね船橋市と覚えるのがいいかな。

 写真は習志野市役所1階総合受付。「音楽のまち習志野市」にふさわしくピアノの鍵盤をデサインした壁面になっている。

参考リンク
千葉のナンバープレート
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習志野 - Wikipedia
二宮町 (千葉県) - Wikipedia
習志野地名発祥の地 附 明治天皇駐蹕之処の碑
どうして船橋市に習志野の地名があるのか?(落書き帳アーカイブズ)
習志野市は、津田沼駅周辺の広がる自治体ですが、隣接する船橋市内にも「習志野」という地名があります。これはいったいなぜなのでしょうか?この地域に造詣の深いIssieさんによる解説をまとめてみました。
軍郷習志野

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